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佐賀地方裁判所 昭和31年(行)5号 判決

原告 原田弥十 外四名

被告 佐賀県知事

主文

原告等の請求を棄却する。

訴訟費用は原告等の負担とする。

事実

原告等訴訟代理人は、被告が訴外亡原田為一に対し、佐佐(に)第二四五六号を以てした別紙物件目録記載の土地に関する買収令書の交付は無効であることを確認する。訴訟費用は被告の負担とするとの判決を求め、その請求の原因として、請求の趣旨記載の土地はもと原告等の父又は祖父に当る訴外原田文次の所有であつたが、同人は大正十年二月十四日死亡したのでその長男為一において家督相続によりその所有権を取得した、右為一はその頃国鉄早岐機関区に勤務していたため母コウの扶養を原告弥十に依頼したが原告弥十も昭和十四年九月頃事業のため渡満することになつたので、親族会を開いた結果同年十月中右為一は前掲土地全部を母コウに贈与することになつた(贈与登記は昭和二十二年十二月二日これをなした)。而して右コウは前掲土地の贈与を受けて後昭和二十四年十月死亡するまでこれを占有支配しており、且つ同人は文次と結婚以来今日迄右農地の所在地である佐賀市巨勢町大字修理田に住所を有している次第である。然るに巨勢村(右巨勢町の前身)農地委員会は昭和二十二年四月十四日右農地の所有者を前記為一であり、且つ同人が不在地主であるから自作農創設特別措置法第三条第一項に該当するとして、第一次買収計画中に組入れたので原告弥十は異議を申立て且つ右コウは、原告コウ、被告為一間の佐賀簡易裁判所昭和二十二年(ハ)第一号所有権移転登記手続請求事件の勝訴確定判決を示して計画編入除外方を要請した結果、同委員会では右農地の買収を第二次計画に編入する旨決定した。次いで同年五月三十日審議手続不十分として保留決定をなしたが結局同年六月二十四日、為一を所有者と認め且つ同人が不在地主であるとして同年七月二十五日コウに対する前記農地所有権移転を承認しない旨決し、同年十月二十一日第二次買収計画に編入する旨の前記決定を取消し、「右農地は前掲確定裁判により昭和十四年中を以て所有権移転が明白となりコウが村内地主であるが現耕作人原田忠六より自作農創設特別措置法施行令第四十三条に基く申請書が提出されているので委員会は買収に決定する」としてこれを第一次買収計画に編入して可決してしまつた。しかしながら前述のとおり前記農地は昭和十四年十月以来訴外コウの所有であり且つ同人が在村地主であることは明らかであるのに、前記農地委員会は右事実を知りながら敢てその所有者が為一であり且つ同人が不在地主であるとして右農地につき買収計画を樹立したのであつて、右計画樹立には明白且つ重大な瑕疵があるといわねばならない。而して被告が右のとおりの経緯で樹立された買収計画に基き、佐佐(に)第二四五六号を以てなした買収令書の交付は前記違法を承継したもので当然無効の処分といわねばならない。

ところで原告弥十、同西村トラ、同辻ツル、訴外亡原田為一は亡コウの相続人として前記農地を共同相続し、原告原田[至誠]、同前川フミは前記為一死亡によりその相続分を共同相続した。よつて原告等は被告との間において前記処分の無効なることの確認を求めるため本訴に及んだと述べた。(立証省略)

被告指定代理人は主文第一項同旨の判決を求め答弁として原告等主張の農地がもと訴外原田文次の所有であつたところ同人が大正十年二月十四日死亡したため長男為一が家督相続によりその所有権を取得したこと、巨勢村農地委員会が前記農地を右為一の所有で且つ同人が不在地主であると認めて買収計画を樹立したこと、小作人原田忠六より自作農創設特別措置法施行令第四十三条による農地買収計画を定めるべき旨の請求のあつたこと及び被告が原告等主張のとおり買収令書を交付したことは認めるがその余の事実は否認する。抑々前記農地委員会の買収計画樹立に当つて原告弥十より口頭による不服の申出があつたので、慎重に調査の結果前記農地は訴外原田為一の所有であり、且つ同人は買収基準時に長崎県東彼杵郡広田村に居住しており不在地主であると認定し買収計画を可決し、被告はこれにより買収令書を交付したのであつて何等違法の処分ではないと述べた。(立証省略)

理由

別紙物件目録記載の本件農地がもと訴外亡原田文次の所有であつたところ、同人が大正十年二月十四日死亡したため長男為一が家督相続によりその所有権を取得したこと、巨勢村農地委員会が本件農地を右為一の所有であり且つ同人が不在地主であると認めて買収計画を樹立したこと、本件農地の小作人原田忠六より自作農創設特別措置法施行令第四十三条による農地買収計画を定めるべき旨の請求のあつたこと及び被告が原告等主張のとおり本件農地につき右為一に対し買収令書を交付したことはいずれも当事者間に争がない。成立に争のない甲第一号証の一及び五、同第七号証の三並びに証人横尾房一の証言及び原告弥十本人の供述によれば、訴外亡原田文次、同亡コウの、原告弥十は三男(二男喜八は明治三十八年二月十七日死亡)、原告トラは長女、原告ツルは二女にして原告フミは前記為一の長女、原告[至成]はその長男であること、前記コウは昭和二十四年十二月頃死亡したので右為一及び原告弥十、同トラ、同ツルが共同相続したが為一において昭和二十六年二月一日死亡したため(為一の妻スマはその頃既に死亡している)原告フミ、同[至成]においてその遣産を相続したこと、為一が買収基準時(昭和二十年十一月二十三日)当時佐世保市早岐町に居住し国鉄早岐機関区に勤務し在村していなかつたため巨勢村農地委員会においては自作農創設特別措置法に基き昭和二十二年十月二十一日本件農地につき買収計画を樹立したことが認められる。原告は本件農地は前記のとおり家督相続により一旦訴外為一の所有となつたのであるが、同人が昭和十四年十月中これをその母コウに贈与したもので前記買収基準時当時における所有者は明らかに右コウであつたと主張するのでこの点について検討するに、成立に争のない甲第三、第五号証によればコウは昭和二十二年五月五日佐賀簡易裁判所に対し、為一を被告として同人が昭和十四年十月十一日その勤務先の早岐機関区より帰省した際コウに対し本件農地を贈与する旨約した事実を原因として本件農地所有権移転登記手続請求の訴を提起したところ為一において右贈与契約の事実を自白したため同年五月十九日勝訴判決を得ていることが認められるけれども原告弥十本人の供述によれば、同原告が巨勢村農地委員会に対し前記買収計画組入について異議を申出でたところ同委員会は右原告弥十に対し本件農地の所有者が在村者たるコウであることの証明を求めたのでこれに応じ前記のとおりの訴を提起したものであること、しかも前掲甲第五号証によれば右訴の被告たる為一はコウの前記贈与の主張を何等争つた形跡がなくその自白に基いてコウ勝訴の判決が言渡されたものであつて、これらの事情を考えると当裁判所においてはこれを以て原告等主張の右事実をたやすく肯認すべき心証を惹起しえない。又成立に争のない甲第四号証によれば巨勢村長が昭和二十二年四月二十九日「本件農地は為一所有名義になつているが昭和十四年十月以降事実上コウにおいて所有支配し、納税及び小作料の取得等凡て同人がなしている」との証明書を発付していることが認められるけれども右は証人横尾房一の証言と併せ考えると、コウが本件土地の所有者たる為一に代りこれについて納税を負担し或は小作料を取得する等これを管理支配していた事実の証明として意義があるに止まり、コウが本件土地の所有者であるとする証明部分については寧ろ後記認定の如くコウが為一より本件土地の贈与を受けたものでないと考えられるのでこれを以て前記原告等主張事実の確証とするわけにはいかない。

却つて買収計画樹立の経緯についてみると成立に争のない甲第六号証の一乃至五、証人高橋誠、福井武次、原田忠男の各証言を綜合すれば巨勢村農地委員会は昭和二十二年四月十四日自作農創設特別措置法に基く本件農地の第一次買収計画組入れを審議したが、本件農地につき為一を不在地主と認めることに対し原告弥十より不服申出があつたので再審議することとし、同年五月三十日、六月十四日、七月二十五日の前後三回審議を重ね、この間原告弥十より前掲甲第五号証(判決謄本)を提示したこともあつたが同委員会としては登記簿上の所有名義が為一になつていること及び小作人並びにコウの近辺に居住する農地委員等をして調査した結果、原告等が昭和十四年十月頃親族会を開催して本件農地を為一よりコウに贈与することとした事実は存せず、コウの所有に帰していたものと認定するまでに至らなかつたので、登記簿上の所有名義を尊重し為一がその所有者であると判断して前認定のとおり同年十月二十一日買収計画を樹立したものであることが認められる。ところで右認定に副はない原告弥十本人尋問の結果は措信しない。

してみると、巨勢村農地委員会が前記買収基準時における本件農地の所有者は前記為一であり同人は当時在村地主でないとして本件農地の買収計画を樹立しその後被告が為一に対し原告等主張の如き買収令書を交付したことは適法であるので本件買収令書の交付無効確認を求める原告等の請求は失当であるから棄却すべきである。よつて訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九条第九十三条第一項本文第九十五条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 原田一隆 田中武一 三枝信義)

(別紙省略)

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